コレクション紹介
専修大学図書館が所蔵する主なコレクションを紹介します。利用については、それぞれの所蔵館にお問い合わせください。【紹介文中の記載について】
- 所蔵
所蔵館と( )内に配置場所を記載しています。 - 目録
OPACと表示があるものは、蔵書検索OPACによる検索が可能です。
コレクション名 [文庫名] を指定して検索することもできます。
(一部検索できない資料があります。)
全てを表示する
- 石井良助(いしい りょうすけ)文庫 [分野?テーマ:日本法制史、近世文書]
名称 石井良助(いしい りょうすけ)文庫 設置 1980年 所蔵 神田分館(法科大学院分館、本館特別書庫) 概要 我が国の法制史研究の泰斗である、元東京大学名誉教授で元専修大学教授?図書館長石井良助先生旧蔵の古文書を購入、図書を寄贈いただいたものである。古文書類の大半は近世文書で、出羽、陸奥、常陸、上総、下総、下野、武蔵、相模、越後、駿河、伊豆、三河、近江、摂津、播磨等の諸国に及んでいる。この他に武家関連書、地方?行政関連文書等があり、また、絵図、御成敗式目、官員録等が含まれる。
なお、石井良助旧蔵の古文書類は本学のほか、東京都江戸東京博物館にも所蔵されている。人物 石井良助(1907年12月14日~1993年1月12日)。東京都出身。東京帝国大学法学部卒業後、同大学助手?助教授を経て1942年教授となる。「徳川禁令考」、「藩法集」等の史料収集?編集?刊行を手掛け、日本法制史を実証的に研究し、体系化をすすめ多くの業績を残した。東京大学名誉教授となり、新潟大学教授を経て1970年から1978年専修大学教授。この間、本学の法学研究所長、1972年から1973年は図書館長を務めている。その後、創価大学の教授を務めた。大学設置審議会専門委員、学術審議会委員、日本学士院会員など多くの要職を歴任。『日本法制史概説』(弘文堂、1948)、はじめ著書多数。主要著作は『法制史論集』全10巻(創文社、1972~1986)にまとめられている。1984年文化功労者、1990年文化勲章受章。 数量 文書4,831点、図書1,070冊 目録 OPAC(図書)
冊子:専修大学図書館所蔵石井良助文庫目録 文書編 1996年11月(193p)備考 石井良助先生還暦祝賀日本法制史論集(創文社、1976)
- 泉久雄(いずみ ひさお)文庫 [分野?テーマ:家族法]
名称 泉久雄(いずみ ひさお)文庫 設置 1999年 所蔵 神田分館(法科大学院分館) 概要 東北大学で中川善之助教授に師事し、爾来民法研究の道を歩んできた元専修大学法学部教授?元専修大学図書館長泉久雄先生の旧蔵図書資料を先生の退職後、ご本人より寄贈を受けたものである。恩師中川善之助先生の蔵書を専修大学におさめ、民法?家族法分野の文献充実を図った泉先生は、さらに自らの蔵書を専修大学に収めることで一層の充実を図った。中川?泉の師弟コレクションの協奏により民法?家族法分野において専修大学のみならず国内有数のコレクションとなった。 人物 泉久雄(1928年4月14日~2017年4月29日)。宮城県出身。1951年東北大学法学部を卒業、1954年専修大学に入職。法学部で主に民法を担当。大学では法学部長など要職を歴任し、1994年度~1997年度は図書館長を務め、新図書館の建設にも尽力した。1999年定年退職。この間、東京家庭裁判所委員会委員、放送大学客員教授などを務める。主著に『家族法論集』(1989)、『親族法論集』(1991)、『相続法論集』(1991)、『家続法の研究』(1999)などがある。 数量 文書4,831点、和書3,186冊、洋書98冊、和雑誌16誌(2012年3月末日現在) 目録 OPAC
冊子:専修大学図書館所蔵泉久雄文庫目録 2002年3月(160p)
- 今村力三郎(いまむら りきさぶろう)文庫 [分野?テーマ:訴訟記録]
名称 今村力三郎(いまむら りきさぶろう)文庫 【再整理作業の為、利用停止中】 設置 1951年頃 所蔵 神田分館(書庫) 概要 元専修大学総長今村力三郎先生旧蔵の訴訟記録とその関係資料の寄贈を受けたものである。訴訟記録では今村力三郎が扱った事件は379件が数えられ、事件により点数の多少はあるが、訴状、口頭弁論調書、上告状、判決書など裁判の流れを把握できるほど揃っているものもある。扱った事件では大逆事件、虎ノ門事件、原敬首相暗殺事件、神兵隊事件、帝人事件、金剛事件、血盟団事件など世間の耳目を集めた大事件が多く含まれる。関係資料には今村が弁護活動に際して記した「期日簿」、「備忘録」、「事務日誌」、「訴件簿」、「判決録」、「弁論稿」、「書簡」などが含まれており、弁護士活動を顧みることができる。 人物 今村力三郎(1866年5月2日~1954年6月12日)。長野県出身。旧姓は蜂谷。1886年専修学校に入学、在学中に代言人(現在の弁護士)試験に合格。1888年卒業と共に弁護士活動を始める。在野にあって人権擁護に徹した活動で知られた。著書には自身の弁護士活動を回顧した『法廷五十年』(1948)、『芻言』(今村力三郎私家本、孔版印刷 1926)がある。いずれも今村力三郎の司法観、人格がよく表れており、複製版や解説を加えた新装版などが出されている。
専修大学は、戦後の大学復興と新制大学への移行の難事業に、今村先生の晩節を煩わせ、総長として戴きその指揮を仰いだ。今日に発展をみる生田キャンパスの基礎は今村先生の尽力に負うところ大である。数量 訴訟記録 379件、8,653点、図書309冊、資料2,500点。 目録 OPAC(図書)
冊子:専修大学図書館所蔵今村力三郎文庫目録 1995年10月374p)備考 (1)専修大学今村法律研究室報 専修大学今村法律研究室[編集?発行] 1号
(1975.1)~
(2)今村力三郎訴訟記録 専修大学今村法律研究室編?[発行]1977~
- 内田義彦(うちだ よしひこ)文庫 [分野?テーマ:経済学史]
名称 内田義彦(うちだ よしひこ)文庫 設置 2002年 所蔵 本館(書庫M3F) 概要 元専修大学経済学部教授内田義彦先生の旧蔵書をご遺族より寄贈を受けたものである。内田先生はその著『経済学の生誕』(未来社 1953)によって日本におけるアダム?スミス研究の水準を飛躍的に高め、古典としての評価を確立した。その思索と研究は経済学説史にとどまらず、独自なマルクスの研究家として、また近代日本思想の研究家として戦後日本を代表する社会科学者の一人に数えられている。人物研究の対象ともなり、近年の成果をまとめたものに、鈴木信雄著『内田義彦論 -ひとつの戦後思想史-』(日本経済評論社 2010)がある。 人物 内田義彦(1913年2月25日~1989年3月18日)。愛知県出身。東京帝国大学経済学部卒業後、同大学大学院を経て、1946年専修大学教員となる。専修大学では商経学部長、大学院経済研究科長を務め、法人では理事、評議員を歴任。1983年定年退職。その業績は『内田義彦著作集 全10巻、補巻1』(岩波書店 1988~2002)に集約されているが、『内田義彦セレクション 全4巻』(藤原書店 2000~2001)は内田先生の活動の多面性を読むことができる。『資本論の世界』(1966)、『日本資本主義の思想像』(1968)、『社会認識の歩み』(1971)、『作品としての社会科学』(1981)(いずれも岩波書店、これらは「著作集」にも収録)など、著書多数。 数量 3,362冊(和書3,135冊、洋書227冊) 目録 OPAC
冊子:専修大学図書館所蔵内田義彦文庫目録 2005年3月(195p)備考
- 大島家(おおしまけ)文書 [分野?テーマ:近世文書]
名称 大島家(おおしまけ)文書 設置 1998年頃 所蔵 本館(特別書庫) 概要 元専修大学法学部教授大島太郎先生の旧宅である群馬県太田市大島町大島家に残された文書群を、元専修大学文学部教授大島美津子(夫人)先生より寄贈をうけたものである。大島家は上州新田郡大島村(現太田市)において代々にわたり地域行政に携わった豪農の家柄であり、村役人、戸長などを度々努めている。当家で収集?保管されてきた村政?行政関係、寺社関係、大島家縁の帳簿など、多様な文書類が収録されている。当家の文書類は『群馬県史』などに掲載されるなど、その重要性がうかがわれる。 数量 6,317点 目録 冊子:専修大学図書館所蔵上野国新田郡大島村大島家文書目録 2009年3月
(277p)
- 大橋(おおはし)?フォークナーコレクション [ 分野?テーマ :フォークナー(アメリカ文学)]
名称 大橋(おおはし)?フォークナーコレクション 設置 1998年 所蔵 本館(書庫M3F) 概要 元鶴見大学教授?元日本ウィリアム?フォークナー協会会長の大橋健三郎氏の旧蔵書をご寄贈いただいたもの。ウィリアム?フォークナー(1897~1962)はヘミングウェイと並ぶ20世紀アメリカ文学を代表する作家。南部アメリカの因習的な世界を「意識の流れ」をはじめとする様々な実験的手法で描いたことで知られ、1949年度のノーベル文学賞を受賞している。コレクションはフォークナーに関するものが中心となるが、アメリカ文学全般に及ぶ。 人物 大橋健三郎(おおはし けんざぶろう。1919~2014)。1937年東京外国語学校英語科入学、1941年東北帝国大学に入学するも、戦争のため2年で繰り上げ卒業。戦後、仙台工業専門学校教員となり、1948年横浜市立経済専門学校、横浜市立大学、1955年東京外国語大学に勤務。1962年東京大学文学部教授となる。東京大学定年退職後、1980年鶴見大学教授となり、1991年鶴見大学を退職。フォークナーをはじめとするアメリカ文学の研究で知られる。自ら中心となり、日本ウィリアム?フォークナー協会を立ち上げ、初代会長を務めるなどアメリカ文学の研究と普及に尽力した。著書は『危機の文学-アメリカ三十年代の小説-』(南雲堂、1957)、『荒野と文明―二十世紀アメリカ小説の世界-』(研究社、1965)、『小説のために-アメリカ的想像力と今日の文学-』(研究社出版、1978)など多数。翻訳も多い。 数量 図書977冊(和書217冊、洋書760冊)
雑誌63誌(和雑誌40誌104冊、洋雑誌23誌216冊)目録 OPAC
- カストリ雑誌コレクション
名称 カストリ雑誌コレクション 設置 1990年頃 所蔵 本館(書庫M3F) 概要 風俗資料の収集家である石崎正吾氏より寄贈をうけた、いわゆる「カストリ雑誌」の一群。カストリ雑誌とは、主に戦後の出版検閲解禁をうけ、扇情的なタイトルや表紙で関心をかりたて、エロ(性?性風俗)、グロ(猟奇、犯罪)やスキャンダルといった興味本位の記事を主とした1946年から1950年以前に出された雑誌群に対して呼ばれている。多くは数号で休刊となり、「3合飲んだらつぶれる」といわれた安価なカストリ焼酎に語呂を合わせて呼び慣わされている。書き手の中には後年名をなした作家もいるので思わぬ発見もある。
なお、本コレクションの中には1928~1933年という国内の大不況期に刊行されたものが5誌含まれており、その形態?内容も戦後期とほぼ同様である。むしろこれらの雑誌のスタイルが戦後カストリ雑誌のもとになっているとも考えられ、興味深いコレクションになっている。数量 235誌(295冊) 目録 OPAC
- 菊亭(きくてい)文庫 [分野?テーマ:今出川家旧蔵資料]
- マイクロフィルム版製作済。
名称 菊亭(きくてい)文庫 設置 1970年 所蔵 本館(特別書庫) 概要 琵琶の演奏を家業とした、今出川家(菊亭家)相伝の古典籍の一部を購入したものである。江戸期を中心として、鎌倉から明治に至る文書、典籍、日記、詩歌、雅楽などからなる。主な物は和歌写本、歌合、連歌、連句など詩歌に関するもの857点、琵琶 篳篥 筝、横笛、太鼓、笙譜面など、雅楽に関するもの536点、宮中、国家行事、国郡ト定、改元、位階、宣旨、定書、法度、法律など記録類901手、元禄から明治30年代までに至る日記が232点、持ち高、金銭貸借関係、祝儀、家例、家族、親族、家従といった家記も349点数える。
今出川家は藤原氏北家閑院流西園寺家の庶流、家格は清華であり、琵琶の演奏を家業とし、西園寺家兼の四男兼季が始祖と伝えられている。今出川家の家名は西園寺家領の邸宅今出川殿を伝領したのに由来するといわれ、また、別号を菊亭とした。始祖兼季は正慶元(1332)年太政大臣従一位に任ぜられた。明治維新後は家名を菊亭と改め、明治17(1884)年脩季のとき侯爵を授けられた。数量 3,448点 目録 冊子:専修大学図書館所蔵菊亭文庫目録 1995年7月(208p) 備考 マイクロフィルム版製作済。
上記目録は 専修大学学術機関リポジトリ(SI-Box) で公開しています。(一部未掲載コンテンツがあります。)
- 神山欣冶(こうやま きんじ)文庫 [分野?テーマ:労働刑法]
名称 神山欣治(こうやま きんじ)文庫 設置 1981年 所蔵 神田分館(法科大学院分館) 概要 元専修大学法学部教授神山欣治先生の旧蔵資料を数次にわたりご遺族より寄贈いただいたものである。労働刑法分野の図書3000冊余と雑誌140誌が主となっているが、追加資料としていただいた200件余の裁判資料中には松川事件に係る裁判資料が含まれる。 人物 神山欣治(1909年1月22日~1976年3月26日)。兵庫県出身。昭和4年京都帝国大学法学部卒業、同年高等試験司法科試験合格。昭和10年高松地方裁判所判事。同12年大阪地方裁判所判事。同13年東京民事地方裁判所判事等を経て、昭和20年司法省刑事局、同21年内閣事務官、23年法務庁検察局に勤務。昭和24年検事に任官、同31年最高検察庁検事に補される。昭和38年検察庁を退官。昭和39年から45年3月まで専修大学法学部教授として刑事訴訟法を講義した。昭和45年3月専修大学退職。また、先生は、二部学生の修学上の経済援助を目的として大学に基金を寄付されている。大学ではこれをもとにして「神山奨学生制度」を設けている。 著書に『労働刑法』(東洋書館、1950)、『労働刑法提要』(立花書房、1954)、『労働刑法の研究』(立花書房、1961)などがある。 数量 図書3,994冊。雑誌141誌。裁判資料219件。 目録 OPAC
冊子:専修大学図書館所蔵神山欣治文庫目録 1995年6月(211p)
専修大学図書館所蔵神山欣治文庫目録(追補)2003年12月(42p)
- 児島襄(こじま のぼる)文庫 [分野?テーマ:歴史(近現代)]
名称 児島襄(こじま のぼる)文庫 設置 2002年 所蔵 本館(書庫M3F) 概要 我が国近代の戦記作品を数多く発表した作家児島襄氏が収集した戦記?戦史をはじめとする、日本近代史関連の資料群。特に作品の素材?裏付となる原資料とそのコピーの収集とそのファイルに氏の熱意と執念が感じられ、取材ノートもまとまっている。児島氏自身の著作も網羅的に収められている。児島氏没後、ご遺族より寄贈を受けたものである。 人物 児島襄(1927年1月26日~2001年3月27日)。東京都出身。東京大学法学部卒。同大学大学院修了後、1954年共同通信社入社。1964年に退社し、作家活動に入る。膨大な近代日本の戦記?戦史資料を収集?考証し、戦記作品を数多く手がけた。おもな著作に『太平洋戦争』(1966)、『東京裁判』(1971)、『天皇』(1974)などがある。また、大砲コレクターとしても知られ、専修大学もご遺族より2門いただいている。 数量 図書9,910冊(和書7,359冊、洋書2,551冊)、雑誌11誌536冊、マイクロフィルム32タイトル337リール 目録 OPAC
冊子:専修大学図書館所蔵児島襄文庫目録 2006年3月(689p)備考
- 小林良正(こばやし りょうせい)文庫 [分野?テーマ:経済史]
名称 小林良正(こばやし りょうせい)文庫 設置 1976年 所蔵 本館(書庫M3F) 概要 日本資本主義論争史上いわゆる「講座派」の泰斗として知られる、元専修大学学長?小林良正先生旧蔵書をご遺族より寄贈を受けたものである。経済学、経済史関係図書が主をなすが、戦前?戦後にかけての日本経済の歩み、復興構想の諸課題、資本主義の生成などの研究に基礎となる資料を多く含む。 人物 小林良正(1898年3月1日~1975年12月29日)。東京都出身。東京帝国大学卒業後、1923年専修大学に赴任、1929年教授となるも、1930年治安維持法違反に問われ退職。花王石鹸株式会社嘱託となり、『花王石鹸五十年史』を執筆(服部之総と共著)。1942年ジャカルタの海軍武官府の嘱託を経て、1947年専修大学に復帰。1949年4月~1952年3月および1958年4月~1961年9月までの、二度にわたり学長を務める。1974年定年退職。
主著の『日本産業の構成』(1935)、『日本資本主義の生成とその基盤』(1949)をはじめ著書多数。
図書館においては戦前1929年5月~1930年6月まで図書部長(現在の図書館長に当たる)と戦後初代にあたる1947年2月~1948年3月まで図書館長を務めている。数量 1,406冊(和書960冊、洋書446冊) 目録 OPAC
冊子:小林文庫目録 1977年12月(404p)
- コミンテルン関係資料
名称 コミンテルン関係資料 設置 1967年 所蔵 本館(書庫M3F) 概要 コミンテルンとは共産主義インターナショナル(Communist international)の略称。第三次インターナショナルとも呼ばれる。
第一次大戦後、レーニンの提唱で1919年、モスクワで結成。世界各国の共産党を支部とし、党代表者からなる大会、中央執行委員会が指導するも1943年に解散。
本学で所蔵するのは1919年~1939年にいたるコミンテルンの第1回から第7回までの大会議事録、公式文書、定期刊行物、及び関係文献の各国語版など320冊。イタリアのフェルトリネリ研究所所蔵のコミンテルン関係資料がリプリント刊行され、それを購入したもの。リプリント版作成にあたり、フェルトリネリ研究所により、資料は年代順、各系統別に編集されている。参考 第一次インターナショナル:国際労働者協会(International workingmen’s association) ヨーロッパ各国の労働者の代表がロンドンに集まり1864年に結成。マルクスが中心的な役割を果たす。パリ?コミューンの敗北後に分裂し、1876年に解散。
第二次インターナショナル:国際社会主義者大会(International congress of socialists) 世界の恐慌不安から労働運動が活発化するなか、各国の社会主義政党の代表がパリに集まり1889年に結成。ここではエンゲルスが中心的役割を果たす。第一次大戦開始とともに崩壊。数量 320冊(洋書)。(定期刊行物13誌、165冊を含む) 目録 OPAC
- エルヴィン?ザイドル文庫 [分野?テーマ:ローマ法、古代法史]
名称 エルヴィン?ザイドル文庫 設置 1983年 所蔵 神田分館(法科大学院分館) 概要 ドイツの古代法史、ローマ法の研究者として著名なエルヴィン?ザイドル博士の旧蔵図書?資料を購入したものである。この資料群は、ザイドル氏自身が少壮の学徒の頃、師であるヴィルヘルム?シュピーゲルバーグ教授からその蔵書を譲り受け、以後自らも長年にわたり蒐集してきたもので、古代法、ローマ法分野では個人蔵書の域を超える一大コレクションとなっている。また、ここには1000点を超える抜き刷り、2500点余りの小論文なども集めており、コレクションを補完して余りある資料群となっている。 人物 Erwin Seidl(1905~1987)。ミュンヘン生まれ。1929年ミュンヘン大学を卒業。『エジプト法史入門』(第3版、1958)、『ローマ法史?ローマ訴訟法』(第3版、1971)、『ローマ私法』(1963)などの著書があり、いずれも古代諸法やローマ法に対するきわめて広範囲で正確な知識に裏付けられて労作として国際的にも高く評価されている。 数量 4,700点 目録 OPAC
- 阪谷芳郎(さかたに よしろう)関係書簡
名称 阪谷芳郎(さかたに よしろう)関係書簡 設置 2008年 所蔵 本館(特別書庫) 概要 本学初代総長である阪谷芳郎に差し出された書簡を中心に、阪谷の旧蔵資料を集めたもの。書簡は420人余からの1365点からなり、1963年に古書店(宗文館)から購入したものである。これらはGHQによる占領の時期に、阪谷の邸宅が米軍に接収されることに伴って1947年に整理?処分され、古書市場に流出したものの一部と考えられる。
時代としては、明治20年代から阪谷が亡くなる昭和10年代までの広い範囲にわたっている。書簡の多くは、私信が中心で、印刷物が少ないことが特徴の一つである。そのため、阪谷芳郎の実際の人間関係やそのつながりを考える上でも重要な資料群といえる。特に大蔵省および政府に関わる人物からの書簡が多く見られ、近代財政史を考える上でも重要な意味を持つ。
阪谷が渋沢栄一の女婿ということもあり、直接、渋沢が出した書簡も50通近く存在し、渋沢を取り巻く当時の政財界のネットワークを考える材料にもなる資料群である。
大学関係者が多いことも特徴として挙げられる。多くの大学や協会などからの講演依頼や講演に対する礼状がある。また、式典や大会にも頻繁に呼ばれるなど阪谷の当時の行動の一端を垣間見ることができる。本学の創立者たちからの書簡はもちろん、大隈重信、高田早苗、福澤諭吉、井上円了、大蔵喜八郎といった他大学関係者からの書簡や本学講師や卒業生からの書簡も多い。人物 阪谷芳郎(1863年1月16日~1941年11月14日)。岡山県士族。明治から昭和初期にかけての財政家?政治家。幕末に開国派として活躍した漢学者?阪谷朗蘆の4男として生まれた。東京帝国大学法学部政治科を卒業後、大蔵省に入省。日清戦争では、戦時財政の運用にあたり、1903年には大蔵次官、1906年には、第1次西園寺内閣で大蔵大臣を務めた。その後、東京市長や貴族院議員を歴任。英語に通じ、カーネギー平和財団の会議や、パリ連合国政府経済会議等にも出席。また、東京に日語学校を創設のほか、神宮球場の誕生や乃木神社の建立に関わるなど、政財界で広く活躍した。妻の琴子は渋沢栄一の次女。
本学との関わりとしては、1886年には経済科講師として名を連ね、1924年には相馬永胤の後を受け、2代目の学長に就任。その後、1934年に学長を辞し、初代総長となった。震災などによって経営難におちいった際の本学の建て直しなど、長年にわたって多大な功績を残した。数量 書簡:1,365点 目録 冊子:阪谷芳郎関係書簡目録 2009年4月(106p) 備考 阪谷芳郎関係書簡集(専修大学編、芙蓉書房出版 2013年11月)
- 雑誌初号コレクション [分野?テーマ:国内雑誌]
名称 雑誌初号コレクション 設置 2006年 所蔵 本館(書庫M3F) 概要 雑誌の創刊ラッシュはこれまでに何度か訪れているが、このコレクションは1970年~1980年代の創刊雑誌が中心となっている。雑誌初号には時の諸問題をとらえた編集方針から刊行のスタンス、意気込み、先取の気概等が凝縮されている。このコレクションは、時代時代の世相と雑誌文化を覗けることを意図しているが、学術雑誌というより、むしろ趣味?娯楽?評論誌などのタイトルと表紙にその年代の空気が漂っており、小規模ながら出版文化、雑誌文化の一端が窺えるコレクションとなっている。 数量 170誌 目録 OPAC
- スペイン市民戦争関係資料
名称 スペイン市民戦争関係資料 設置 1973年 所蔵 本館(書庫M3F) 概要 スペイン市民戦争といわれているのは、スペイン人民戦線政府に対しフランコ軍部?右翼勢力が反乱して戦ったスペインの内乱(1936~1939)のことをいい、この戦いで勝利したフランコは政権を取り、以後長い独裁体制が続く。この内戦には国外のファシズムと反ファシズム勢力が介入し、第二次大戦の前触れとなったことで知られる。敗者側の資料類は処分されることが多いため、本学所蔵分資料は勝者であるフランコ側に立つものが多い。 数量 1,558冊(洋書) 目録 OPAC 備考 本コレクションを補完する資料として、次のマイクロフィルム版資料(洋書)を所蔵している。
(1)Spanish Civil war. 1974. 48r.
(2)Periodicals in microfilms on Spanish Civil War. 1984. 73r.
(3)The Spanish Civil War Collection. 1990. 57r.
- 孫田秀春(そんだ ひではる)文庫 [分野?テーマ:労働法]
名称 孫田秀春(そんだ ひではる)文庫 設置 1973年8月 所蔵 神田分館(生田分館) 概要 元専修大学法学部教授孫田秀春先生旧蔵の図書資料をご寄贈いただいたものである。孫田先生は大正末期から昭和初期にかけて我が国労働法学の草分け的存在であり、労働法関係の図書資料3600冊余と雑誌70誌がある。洋書の中には今では入手困難とされるドイツ?ナチス期に刊行された文献も少なくない。また、1900年に起きた熊本の遊郭東雲楼の遊女ストライキをもとにした小説『東雲物語』の直筆原稿がある。 人物 孫田秀春(1886年3月13日~1976年11月10日)。山形県出身。大正4年東京帝国大学卒業。大正5年朝鮮銀行に入行、対満州産業経済政策等の調査研究に従事。大正8年東京高等商業学校教授。大正12年東京商科大学教授。昭和15年上智大学商学部教授、商学部長を務める。同年日本大学法文学部教授となり、昭和18年日本大学法文学部長を務める。昭和28年から40年専修大学法学部教授となり労働法を講義。昭和40年3月退職。
著書は『労働法総論』(改造社、1924)、『労働法通義』(日本評論社、1929)、『労働協約と争議の法理』(寧楽書房、1948)、『労働法の開拓者たち』(実業之日本社、1959)など多数。数量 図書3,603冊。雑誌72誌。 目録 OPAC
冊子:専修大学図書館所蔵孫田秀春文庫目録 1995年10月(359p)備考 経営と労働の法理 -孫田秀春先生米寿祝賀記念論集- (孫田秀春先生米寿祝賀記念論集刊行会編、専修大学出版局 1975年2月)
- 高橋勇(たかはし いさむ)文庫〈黒龍文庫〉 [分野?テーマ:北東アジア(旧満洲)]
名称 高橋勇(たかはし いさむ)文庫(黒龍文庫) 設置 2001年 所蔵 本館(書庫M3F) 概要 旧満洲関係資料の収集家である高橋勇氏より寄贈をうけたものである。収集された資料は、満洲事変に関するものはもとより満洲国建設と中国?満洲紀行などから、当時の東アジアと国内情勢を論じたもの、戦後の敗戦及び満洲国批判、その満洲での体験?懐古の書物まで多岐にわたり、研究者とは異なる収集者の満洲への視野の広がりから日本近代史研究を補完する奥深さを感じられる資料群になっている。資料形態も、図書に加え、当時のアルバム、ポスター、絵ハガキ、さらには残留孤児問題を扱った資料までと多様である。
収集者の意図が「満洲を通じて近代日本(日本とアジアと戦争)を考える」ということがよく伝わる良質のコレクションとなっている。高橋氏自身による資料の補修が見事であり、資料に対する思いと人柄が表れている。
本コレクションは別名「黒龍文庫」の名がついている。収集者の高橋氏は旧満洲を流れる黒龍江から思いを馳せ、自らのコレクションに黒龍文庫と名付けていたが、専修大学はこれを継承したものである。人物 高橋勇(1932年4月25日~ )。千葉県出身。警察予備校、伊藤忠自動車、東京洋服商工組合事務局等を歴職。戦後、長じてから自身の兄の出征?戦死に思いを強くし、旧満洲への関心を呼び覚まし、資料収集をはじめたといわれる。20数年かけて築いた渾身のコレクションを専修大学に寄贈された。 数量 図書7,144冊(視聴覚資料含む)。(2012年3月末日現在) 目録 OPAC
冊子:(1)専修大学図書館所蔵高橋勇文庫(黒龍文庫)目録 2005年3月(343p)
(2)